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ドローン撮影で上空から見た、旧月潟駅構内(画像下に中ノ口川堤防、左奥には角田山がみえる。角田山の下、一直線に左右を走る高架橋が上越新幹線である)
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新潟電鉄開業時である1933(昭和8)年に、日本車輌製造東京支店で製造された電車「モハ11形11号」(書類上は14号)がもととなっている。1966(昭和41)年12月に日本車輌製造東京支店で、この旧モハ11号の機器と新造された車体を組み合わされ(車体更新という)、現在の「モハ11号」となった。
この新造された車体は「日車標準車体」と呼ばれるもので、全国のいくつかの中小私鉄でみられた形状のものであるが、新潟交通向けの車両は前面に貫通扉がないため、他の私鉄向けの車両とは前面のデザインが異なっているのが特徴である。
県庁前(後に白山前に改称)-東関屋の併用軌道(路面)区間走行に対応するため、下部に排障器と車幅灯を備える。
モハ11号の僚車は計8両(11・12・14・18・19・21・24・25)あったが、車体更新の年次によって、前照灯や車内灯、通風器、床材、座席袖仕切など少しずつ仕様が異なっている。(モハ11号は、前照灯:小型、車内灯:スリムライン蛍光灯8本、通風器:ガーランド型、床材:ビニル張り、座席袖仕切:逆L字型)
1981(昭和56)年にワンマン化改造(自動両替機付運賃箱や整理券発行機、8トラックテープによる自動放送装置、車内外ミラーなどの取付)が行われ、ワンマン運転を行えるようになった。
1999(平成11)年4月4日の営業最終日まで活躍し、翌4月5日に自走回送で他2両とともに月潟駅に到着、そのまま保存となった。
2022(令和4)年より開催している体験乗車イベント「走れ!かぼちゃ電車」では、車両移動機アントの推進・牽引によって走る姿を見ることができる。
[新潟市所有]
1933(昭和8)年に、日本車輌製造東京支店で製造された電動貨車。電動貨車とは、一般の電動客車の客室に相当する部分が貨物室になっている車両のことである。貨物列車の先頭に立つのは電車と比べて力のある電気機関車が主流であるが、新潟交通の場合は、電気機関車は使用されず自車にも積み込みの出来る電動貨車が使用された。
かつては米や果物などを満載した貨車を牽引し、時には国鉄弥彦線と線路が繋がっていた燕駅で国鉄との貨車のやり取りをするなど、新潟交通における貨物輸送を支えたが、輸送量の減少により1982(昭和57)年に貨物営業が廃止された。
その後は、主にラッセル車キ116の推進・牽引機として1999(平成11)年まで活躍した。
県庁前~東関屋間の併用軌道(路面電車)区間に入線するための排障器を備えているが、現在旧月潟駅では県庁前側をスノープラウに交換した、ラッセル車牽引/推進時用の状態で保存されている。
[新潟市所有]
キ100形ラッセル車は1928(昭和3)年~1956(昭和31)年の間に294両が製造された、ラッセル装置付ディーゼル機関車が登場する以前の、代表的な国鉄のラッセル車である。
このキ116号は、1932(昭和7)年に鉄道省大宮工場(現在のJR東日本大宮総合車両センター)で製造、奥羽本線新庄駅(山形県)常備の車両であった。新潟交通にはそれまで活躍していたキ1号雪掻車の後継として、1967(昭和42)年に入線した。
この時代のラッセル車は蒸気機関車等で推進して使う事を前提として作られているため、キ116号は動力(モータなど)をもたず、自走できない。そのため、先頭に立つキ116号の車内から、後ろに連結し推進するモワ51号の制御ができるように、制御器を取り付ける改造が施された。除雪列車は、車両基地のあった東関屋から燕方面へ向かって運転されたため、キ116号の先頭部は燕側を向いている。
新潟交通現役時に、屋根上に設置してあるエアタンク6本のうち中列の2本が間引かれて4本になるなどの、細部の改造が施されている。
[新潟市所有]
1983(昭和58)年にアント工業で製造された車両移動機で、東急電鉄で使用された後に、新潟交通東関屋電車庫で使用されたものである。
廃止後の2003(平成15)年、東関屋電車庫と残存車両の解体時に車両の移動を行ったのを最後に活躍を終えた。
なお、旧月潟駅では、作業時や体験乗車イベント等の車両移動に用いるために用意してあります。
※通常はご見学頂けません。
[かぼちゃ電車保存会所有]
1933(昭和8)年の新潟電鉄(新潟交通の前身)の開業時に設置された駅である。
駅の裏手を流れる中ノ口川の堤防上に設置されたため、駅前側からみると二階建てに見えるのが特徴だが、開業当時の月潟駅は軌道面より低い土手下に平屋建ての駅本屋(えきほんおく:駅舎のこと)が建てられた。旅客や駅員は列車の発着の度に階段で土手を昇り降りする必要があり、非常に不便であったため、開業から早い時期に二階建ての駅本屋に改築することとなった。1933(昭和8)年10月23日付で本屋の改築通達が出され、その後すぐに現在の二階建ての駅舎に改築されたという。二階建てとなった駅本屋は1階が宿直室だったものの、戦後駅員の増加に伴い手狭となったため、1949(昭和24)年4月22日に駅舎の増築工事が提案され、同年6月15日に完成している。この際の増築部は廃線後も現存していたが、戦後間もない時期に廃品を利用して建築したため老朽化が著しく、耐震面での問題もあったため、2006(平成18)年4月に解体した。
開業当初は交換(行き違い)設備がなかったが、戦時中に交換設備を設置した。この交換設備は1993(平成5)年の月潟~燕間廃止後に撤去されたが、開業当時からある本屋側ホームは、廃止となる1999(平成11)年4月5日まで使われた。
駅に隣接して角兵衛地蔵尊があり、ここには、新潟電鉄の設立者である奥山亀蔵の石碑も建立されている。
また、2003(平成15)年には美空ひばりの歌った「越後獅子の唄」の歌碑が建立され、駅周辺が公園として、駅前後の廃線跡は遊歩道として整備された。季節の花々や、鮮やかな木々の翠を楽しむことができる。
(駐車場:約15台分、トイレ:身障者対応[昼間のみ] 積雪時閉鎖)
[新潟市所有]
駅構内や新潟市内の公共施設などに設置しています。 (2024. 4 改訂版)
当項目の作成にあたり、当会会員の記録や証言、当会広報誌「かぼちゃ通信」各号の記述や写真のほか、以下の文献や図表の一部を参考または引用しています。
◆参考文献
新潟交通20年史. 新潟交通株式会社, 1966
名取紀之, 滝沢隆久. 模「景」を歩く. ネコ・パブリッシング, 2003
寺田裕一. 新・消えた轍 ローカル私鉄廃線跡探訪 5 上信越. ネコ・パブリッシング, 2011
寺田裕一. RMライブラリー203 新潟交通電車線(上). ネコ・パブリッシング, 2016
寺田裕一. RMライブラリー204 新潟交通電車線(下). ネコ・パブリッシング, 2016
◆引用図表
月潟駅々舎増築計画図 (当会所蔵)
新潟交通株式会社. 車輌竣工図表(現役車両編) (当会所蔵)